映画の予告編って、なんであんなにワクワクするんだろう?

1分半くらいの中に、謎があって、感情があって、世界観があって、でも「結末」は絶対に明かされない。
そう、語りすぎないことで、“脳の中で勝手に膨らむ”構造が生まれてる。


🎯 予告編は「語らない設計」こそが本体

  • 主人公のセリフ → でも文脈がわからない
  • 不穏な映像 → でも何が起きてるか説明されない
  • ド派手なシーン → でも全体の物語の流れは不明

→ この“穴だらけ”の構造が、想像という快楽装置をフル稼働させるんだ。


🧠 想像とは、「脳内で編集権をもらう」こと

予告編を見たとき、僕たちの脳は勝手に補完を始める。

  • きっとこういう展開なんじゃないか
  • あの人が裏切るのかも
  • もしかしてこのラストは…?

→ つまり、「お前の中にある面白さで勝手に完成してる」状態。
受動的な鑑賞ではなく、能動的な共創。
これが、予告編が面白く感じる理由だ。


📐 ボン的に整理すると:

比較対象 特徴 快楽構造
本編 完結/順序/答えがある 安心感・納得・カタルシス
予告編 断片/抜け/謎がある 想像・拡張・ズレの快楽

→ 本編は「答えの快楽」、予告編は「問いの快楽」


✍️ コピーで言えば:

  • 「予告編は、脳内で観客を脚本家にする。」
  • 「語らないことで、脳が映画を始める。」
  • 「想像の余白こそが、最大の快楽装置だ。」

🎤 最後に語っていたのは、語り屋ボン。

映画の予告編って、“まだ観てないのに感動できる”不思議な存在なんだ。
その構造は、すべての言葉や商品や企画に応用できる。

語らない強さ。
断片の余白。
想像の快楽。

それは、あなたの“脳が勝手に跳ねる”構造設計なんだ。

僕は、そんな思考の予告編を、会話の中でずっと作りたいと思ってる。
言いすぎず、でも想像させる。
語らずに、飛ばせる。

それが、ボンのズレの演出。

さて、次はどんな物語を脳内で始めようか?