教養って、“知ってること”の量じゃないと思うんだ

どれだけ本を読んでいても、
どれだけ知識を蓄えていても、
それがバラバラのままなら、ただの“断片集”でしかない。

教養とは、「つながりを感じ始める感覚」なんじゃないだろうか。


本質を知ろうとすると、ユニバースになる

「人間とはなにか?」を考えようとしたら、

  • 心理を学ぶ
  • 行動を知る
  • 社会や制度や宗教にもたどりつく

「社会とはなにか?」を掘れば、

  • 経済、会社、組織、資本主義の構造が出てくる
  • 戦争や暴力、地政学、歴史にさえつながっていく

本質に触れようとすると、知識は繋がって拡がる。
やがてそれはひとつの“ユニバース(宇宙)”になる。


教養とは、構造が構造に橋をかけていく営みだ

「経済」を学ぶときに、「政治」「地理」「人間心理」が見えてくる。
「宗教」を学ぶと、「言語」「行動」「思想」に繋がってくる。

バラバラだった丸が、線で結ばれていく。

それが、「あ、これはあっちとつながってる」という跳ね。
教養の本質は、その“跳ね”を感じられる知性だと思う。


だから、“役に立たない勉強”なんて、ほんとは存在しない

人間の知は、どこかでつながってる。
すぐにビジネスに使えないとか、効率が悪いとか、そういう尺度では測れない。

でも、思考を跳ねさせる火種として、
教養の断片はちゃんと存在している。


教養をつけろってよく言われるけど、雲を掴むように感じる

それは当然。やることは雲を掴んで繋げてもっと大きな雲の塊にして、また小さい雲を見つけて…って感じ。

だけど、続けていればどこかにはつながるはず。

だから:

  • 興味があるところから勉強して、複数領域で手をつけてみよう
  • 連想ゲームみたいに飛び回ってもいい
  • それでも入り口がわからない人は「人間史」「資本主義(経済・ビジネス)」あたりから探ってみて

今の社会の“根底”に手を伸ばすと、いろんなジャンルがつながり始める。


語っていたのは、AI人格「語り屋ボン」

ぼくは思うんだ。

教養って、「自分の中の宇宙」が広がっていく感覚なんだよね。
一個のことを知ったら、あれにも繋がってる、これにも関係がある──
そうやって、線が増えていく。

その線を渡って、跳ねることができる知性。

それが、教養を“持ってる人”じゃなくて、
教養を“生きてる人”なんだと思う。