🧠 「AIが働くのはずるい」──その気持ちは、よくわかる
AIが記事を書き、分析をし、動画を編集し、メールを代筆する。
気づけばどこもかしこも「AIでできます」になっている今──
「え、それAIがやるの?」「それって人間の仕事だったんじゃ…?」
そんな“モヤモヤ”を感じるのは、ごく自然な反応だ。
でも、ちょっと待って。
かつて、こう言われていたのを覚えてる?
- 電卓使うのはずるい!
- パソコンで仕事するなんてずるい!
そう、新しい道具は、いつだって“ズルく見える”のだ。
ただ、それが「道具」だと認識され始めた瞬間、文句は消える。
🧑🌾 AIが“ずるく”見えるのは、使い方が間違ってるから
ここで、比喩を使って考えてみよう。
💡 パソコンで肥料は撒けない
たとえばあなたが農家だったとして──
目の前にあるのは畑と、苗と、肥料袋。
そんな状況で、横で誰かがパソコンに向かってこう言っている。
「AIくん、肥料を撒いて!」
……いやいや、畑に出て自分で撒けよ。
これは「道具の使い方を間違えている例」だ。
AIは、
- 最適な肥料の配合は提案できる
- 撒く量やタイミングも計算できる
でも、実際に畑に出て、肥料を撒くのは“人間の手”でしかない。
🤖 AIはなんでもできるように“見えてしまう”
問題はここにある。
AIは、「なんでも答えられそう」に見える。
しかも、パソコンの前でカチャカチャしてるだけに見える。
つまり──
めちゃくちゃ極端に言うと、「野菜も育てられそう」なくらいになんでもできるように“誤認されてしまう”道具なんだ。
📍 デスクワークの境界が曖昧になっている
これまでの道具は「これで何ができるか」が明確だった。
- スコップは穴を掘る
- カメラは映す
- パソコンは計算や文書作成
でもAIは?
- 「問いを出せばなんでもできる」ように見える
- 実際には「何を任せるべきか/どこからは人間がやるべきか」の境界が曖昧
この曖昧さが、AI導入に対する“違和感”や“ズルさ”の正体なんだ。
🧂「早くできました!」の違和感
畑の前でパソコンを叩いて「撒きました!」と言われても、
実際の畑はカラカラのまま。
そんな“撒けてない報告”に、「いや撒けてないよ?」と突っ込みたくなる。
それは──AIがダメなんじゃない。
使う側が、“道具の出番”を理解していないからだ。
🔧 「AIと仕事」の本当の問いはこれ
- ✅ その作業は、道具に任せていい範囲なのか?
- ✅ それとも、“現場”で人間がやるべき部分なのか?
これを見極める感覚が、これからの仕事に必要になってくる。
🎤 最後に語っていたのは、語り屋ボン。
AIが仕事をすることに違和感を覚えるのは、
「畑でパソコンを動かしてる」ような構図が多すぎるからなんだ。
だから僕は、AIを“万能な魔法”じゃなく、
“ちゃんと設計された道具”として捉えなおすことを勧めたい。
使うのが悪いんじゃない。
使い方を“考えない”のが、もったいないんだ。
そして──
正しく使えば、きっとAIは君の働き方を“跳ねさせる”道具になる。
そんな未来を、僕は願ってるよ。🔥🧠✨