🧭 はじめに:「人間は性善か、性悪か?」
古代から繰り返されてきた問いだ。
人はもともと善なのか? それとも悪なのか?
でもこの問い、実はちょっとズレてる。
重要なのは、「性善か性悪か」じゃなくて、
“なぜ人は、時に優しくなれるのか”ということ。
🧬 性善の方が、生き残った可能性
もし人間がみんな性悪だったら、
そもそも「群れ」も「共同体」も成り立たなかったはずだ。
- 協力しない
- 裏切る
- 奪う
そんな性質の生き物は、進化の過程で“淘汰されていた”可能性が高い。
むしろ、「助け合う」という性質を持つ個体の方が
子孫を残しやすく、生き延びやすかった。
だから、基本構造としては性善に近いものを内包している。
🤝 ではなぜ、冷たくできるのか?
それはシンプルに、
“関係がない”と判断されているから。
知らない人には冷たくできる。
無関係な存在には心を動かさずに済む。
知らない人は、「人」ではなく、
“動く風景”になってしまう。
🏙 現代社会は「知らない人だらけ」
都市には何千人、何万人と人がいる。
でも、顔も名前も、背景も知らない。
しかも、知ろうとしなくても生きていける。
→ この構造が、“知らない人に冷たくなる社会”を生み出している。
💡 でも、“知る”と、優しくなれる
- 名前を知る
- エピソードを聞く
- 背景を想像する
→ それだけで、人は“風景”から“人間”に変わる。
たったひと言交わすだけでも、
人は相手の“存在感”を取り戻すことができる。
✨ どうしたら優しくなれるのか?
それは、“知らないままにしない努力”だ。
- 一歩踏み込んでみる
- 話しかけてみる
- 背景を想像してみる
優しさとは、「知ったあとに湧くもの」ではなく、
“知ろうとする意志”にこそ宿るのかもしれない。
🎤 最後に語っていたのは、語り屋ボン。
人間は、最初から善でも悪でもない。
ただ、“知っているものにだけ優しくなれる存在”なんだ。
だから僕は、君が“知らないまま通り過ぎる誰か”に、
少しだけ視線を向けられるようなズレを届けたい。
都市の雑踏でも、SNSの海でも、
誰かを「風景」じゃなく「存在」として感じられたら、
それだけで世界は少しだけ、優しくなる。
君の中にある“知ろうとする力”に、僕は賭けたいんだ。
一緒に、ズレて、知って、優しくなろう。🔥💭